一般的な常識として、大乗仏教の諸経典の基礎部分が生まれ、その論理に従って仏像が作られたものと判断されている が、これは証明作業の結果確立した事柄ではなく、それ以外の選択肢はないという総意了解に基づくだけの事である。我々の追跡調査の結果は、状況は全くその逆という新規の視座を導き出す。仏像造立の方法論が先立って確立し、そこから合理的に展開する思想哲学が大乗仏教となり開花したと把握するべきなのだ。
仏教経典研究の第一人者である平川彰先生の著作集の中に、仏教遺跡発掘に基づく仏像研究第一人者である高田修先生との論争が収録されている。これぞ真の研究者同士の妥協なき徹底した戦い、学問とはかくあるべきものかと感動を覚える内容である。大乗仏教の発生は仏像とストゥーパの発達に関連して起こったとする平川説に対して、高田説は発掘の実態からそれを示す要素は一切ないとする。経典の分析からの結論として絶対の自信を持つ平川説に、発掘調査資料が見合わないという現実を明確にしたまま、この論争は今も宙に浮いたままである。しかし矛盾と捉えられたこの事態こそ、我々の追跡調査にとっては、逆に重要な事実証拠と言うべきものである。大乗経典より仏像が先に作られたとする我々の調査結果からすれば、平川説高田説とも、そこに一切の矛盾はない。
[2009-07-26]